VOICES
楽器商
『みなさま初めまして。私は、今日では「パガニーニ」という名前のヴァイオリンとして知られています。イタリア・ロンバルディア州の中規模都市クレモナにある、おそらく最も有名なヴァイオリン製作者、アントニオ・ストラディヴァリの工房で1727年に生を受けました。
生まれてから最初の数年については正確には覚えていませんが、アマチュアやプロの音楽家が音楽や音を生み出すための道具として創られたということだけは覚えています。記録に残された私の物語は、コジオ・ディ・サラブエ伯爵(1755年~1840年)にさかのぼります。1817年、私はニコロ・パガニーニの手に渡りました。私が人生で立ち寄った場所は非常に多様で、所有者にはアキーレ・パガニーニ男爵(ニコロの息子)、ジャン・バティスト・ヴィヨーム、ヴィレーユ男爵、エルネスト・ニコリーニ、ジョージ・ハート、ヘンリー・サッチ、フレデリック・スミス、W.E.ヒル&サンズ、エミール・ハーマン、そして、私と3人の兄弟をワシントンD.Cのコーコラン美術館に遺贈したアンナ・E・クラーク夫人も含まれています。1994年、私の人生の道筋はアジアへ、より正確にいえば日本へと導き、そこで兄弟とともに日本音楽財団に迎えられました。これは非常に幸運な偶然であり、素晴らしい機会でもありました。何故ならそれ以来、クァルテットとして、私たちは国際的に優れた音楽家たちの手によって、自分たちの声を響かせ、世界中の聴衆に大きな喜びをもたらすという、私たちの本来の使命を果たすことができたからです。現在、私はまもなく300歳になりますが、以前と変わらずやる気に満ち、とても健康で、自信と楽観をもって未来に向いています。父アントニオが1727年に私に与えてくれた使命をこれからもずっと果たし続けることができますように。』
日本は何千年にもわたる独自の文化史を持つ国であり、広く海外に門戸を開いたのは「江戸時代」以降のことでした。1868年、江戸は公式な首都となり、東京と改名されました。
その後まもなく、日本人が、自分たちにとって異国のものであるヨーロッパの音楽にこれほど特別な関心を持った現象は、一体何に起因するのでしょうか。
これを説明する一つの試みとして、服部譲二による寄稿文 *の一部を引用します。「この質問に答える前に、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの芸術は元来ドイツ・オーストリア、ヨーロッパ・西洋のものであるから、日本人にとって異国のものと捉えるか、または、地理的な主張が無意味なほどに彼らの芸術が全人類にとって偉大でとても重要なものとも考えを巡らせることもできます。つまり、日本人が西洋音楽に関心を抱くのは当然のことであり、むしろ、なぜ世界には未だにモーツァルトに関心を持たない国々が存在するのかが、正しい問いになるでしょう。」
*「ラジオ・クラシック・シュテファンズドーム」2019年春
ヨーロッパの音楽とそれを表現するための楽器への関心は、アジアで急速に広まりました。
ヨーロッパの一流のオーケストラやソリストたちは日本でコンサートを行い、日本や他のアジアの音楽家たちはヨーロッパで学び、優れた演奏家として成長しました。
その結果、当然のこととして、ヨーロッパ起源の楽器がアジア地域にもたらされました。そして、クレモナ出身の世界的に有名なイタリアのヴァイオリン製作者、アントニオ・ストラディヴァリ(* 1644年頃~1737年)作のヴァイオリンが初めて日本人の手に渡ったのは、この名匠の死後約170年にあたる20世紀初頭と、それほど遠い昔のことではありません。
それ以来、多くのトップクラスの弦楽器がアジアに渡り、1974年には、世界でも類を見ない団体が東京に設立されました。それが「日本音楽財団」です。
クレモナの最も偉大とされるヴァイオリン製作者、アントニオ・ストラディヴァリの楽器のみでコレクションを形成するという当初の構想が実現しました。そのうち同じく高名な同時代の製作者、ジュゼッペ・グァルネリ・デル・ジェスの楽器も2挺加わり、現在は、ヴァイオリン17挺、ヴィオラ1挺、チェロ3挺を数えるコレクションとなっています。
しかし、日本音楽財団の目的は、昔も今も、博物館に展示するための美術品を集めることではありません。これらの楽器は、その本来の目的、つまり、若くて才能あふれる音楽家たちによって演奏されるためのものです。このクラスの弦楽器は、非常に高い経済的価値を持つ芸術作品である一方、他方では音を生み出すための道具でもあります。この事実は、これらの高品質な楽器が、絵画や彫刻などの他の芸術作品や貴重な骨董品と大きく異なる点です。
楽器の借り手には、最高品質の楽器を演奏するという特別な機会が一定期間与えられます。言い換えれば、すでに確立されたプロのキャリアを、古いイタリアの名器でさらに発展させ、これまで知らなかった新たな特性や魅力を体得するための機会でもあります。
これは、ひとえに財団の寛大な支援のおかげです。財団は楽器を無償で貸与するだけでなく、点検やメンテナンス、保険など関連する費用をすべて負担しています。
これらの楽器を使用する際には、音楽家には最大限に注意深く使用すること、つまり、深い敬意と責任を持って楽器を扱うことが求められます。
現在、日本音楽財団が所有しているのは、歴史的な文献によって裏付けられた有名な名前を持つ楽器のみです。言い換えれば、トップクラスの楽器ばかりです。詳細なリストは、財団のウェブサイトでご覧いただけます。
財団が設立された1974年は、私が3代目のヴァイオリン製作者としてスイスのバーゼルに自分の工房を構えた年であり、私にとって特別な意味を持つ年です。
現在、財団が所有している楽器の中には、私が何十年も前から知っているものもあります。例えば、ヴァイオリンの「エングルマン」、「サマズィユ」、「ムンツ」、「レディ・ブラント」(2011年に売却され、日本音楽財団はその売上全額を日本財団の「東日本大震災支援基金」に寄付し、復興を支援しました)、そしてチェロの「フォイアマン」などがその一部で、これらの楽器は、1987年にクレモナで開催された、巨匠の没後250年を記念する展示会で、代表的な展示物として紹介されました。私は「名誉委員会」の一員として、この特別なイベントに関わりました。
私の親愛なる同僚であるアンドリュー・ヒル氏(世界的に有名なロンドンのW.E.ヒル&サンズ社の子孫)は、何十年にもわたる友人であり、その豊富な専門知識と熱意をもって、楽器貸与事業開始当初から財団の発展と拡大に大きく関わってきました。
2024年、光栄にも私は日本音楽財団から彼の後任として任命されました。この信頼は、今後、財団や楽器の被貸与者、そして何よりも偉大な楽器のために、私が最善を尽くし続ける責任を負っていることを意味します。
【プロフィール】
三代続くヴァイオリン製作者で、1974年にバーゼルで自身の工房を開いた。
過去数十年にわたり、同工房は弦楽器および弓の修理、修復、取引を専門とし、自身も弦楽器の専門家として国際的に高い評価を受けている。多くの専門書の著者、共著者であり、また、専門会議での講演や、多くの国際的なヴァイオリン製作コンクールの審査員としても招へいされている。さらに、1991年から1993年まで会長を務めた「国際弦楽器・弓製作者協会(EILA)」および「アメリカ・ヴァイオリン協会」の名誉会員として世界中の専門家と定期的に交流を持ち、これが継続的な専門技術の向上と専門知識の共有に不可欠な要素となっている。
2024年、ロンドンのW.E.ヒル社のアンドリュー・ヒル氏の後任として、日本音楽財団(NMF)の公式楽器アドバイザーに就任した。
https://www.wieniawski.com/roland_baumgartner_eng.html
2025年1月寄稿