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Stradivarius

ストラディヴァリウス1730年製チェロ

フォイアマン

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来歴

1860年代、パリの楽器商ジャン・バティスト・ヴィヨームの顧客とされるパリの有名なアマチュア奏者デュ・バロー氏によってこの楽器は所有されていた。次いで著名なチェリスト、オーグスト・ジョセフ・フランショーム(1808-1884)が息子のために入手した。しかし、息子の早世によって、1868年、このチェロはパリのガン&ベルナルデルを通して、アドリアン・フランソワ・セルヴェ(1807-1866)の弟子であるブリュッセルの名チェロ奏者アーネスト・デ・ムンク(1840-1915)に売却された。このことから、この楽器は「デ・ムンク」とも呼ばれている。1915年にロンドンで死去する少し前、ムンクは弟子のC.H.ヘリオットに売り渡し、後にヘリオットはW.E.ヒル&サンズに売却した。1939年、同楽器商はこのチェロを著名なチェロ奏者エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)に売却し、フォイアマンは数多くの演奏会や録音に使用した。このことから、後に「フォイアマン」として知られることになった。彼の死後、この楽器は1943年に米国の収集家ラッセルB.キングマン氏の手に渡り、後に再びW.E.ヒル&サンズの元に渡った。1956年に楽器商ルンベルト・ウーリッツァーから名チェロ奏者アルド・パリソ(1918-2018)に売却された。日本音楽財団は1996年12月にこの楽器を購入した。

特徴

裏板はカエデの二枚板で、小幅の水平な杢目が薄らと見られる。横板の杢目もこれと似ているが、より明瞭に模様が出ている。スクロールの杢目はより簡素である。表板はスプルースの三枚板で、木目はほぼ均等である。低音側の上方の端には小さな節がある。厚く塗られたニスは明るい栗色と赤の中間色である。ストラディヴァリはこの楽器を含め、いくつか身幅の狭いチェロの製作を試みている。これについてW.E.ヒル&サンズのアルフレッド・ヒルは、女性奏者のためにデザインしたのではないかとしている。

証明書

ストラディヴァリウス1730年製チェロ「フォイアマン」

1956年8月4日付 Rembert Wurlitzer, Aldo Parisot宛て
1939年4月5日付 W. E. Hill & Sons, Emanuel Feuermann宛て

参考資料等

ストラディヴァリウス1730年製チェロ「フォイアマン」

1996年10月28日付 Andrew Hill, 日本音楽財団宛てレポート
1996年5月10日付 Andrew Hill, 日本音楽財団宛てレポート
1939年4月5日付 W. E. Hill & Sons, Emanuel Feuermann宛て来歴書簡

“Antonio Stradivari: The Cremona Exhibition of 1987” by Charles Beare (P 264)

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