アントニオ・ストラディヴァリ(1644-1737)製作によるヴァイオリン2挺、ヴィオラ、チェロで構成されたクァルテットは6セットの存在が知られている。このクァルテットはそのひとつであり、19世紀の伝説的なヴァイオリン奏者、ニコロ・パガニーニ(1782-1840)が、1830年代に自らの弦楽四重奏団で使用し、演奏していたことから「パガニーニ・クァルテット」と呼ばれている。1840年にパガニーニが没した後に散逸してしまったが、ニューヨークの高名な楽器商エミール・ハーマンが1940年代に集め直した。この「パガニーニ・クァルテット」は、アントニオ・ストラディヴァリ生誕300年とバルトロメオ・ジュゼッペ・グァルネリ没後200年を記念して、1945年にブルックリン美術館で開催された「巨匠たちのヴァイオリン展」に展示された。1946年にウィリアムA.クラーク米国上院議員の未亡人アンナE.クラーク夫人がエミール・ハーマンから購入し、演奏家に貸与することを条件として1964年にワシントンD.C.にあるコーコラン美術館に寄贈した。その後、このセットはコーコラン美術館から売りに出され、1994年2月、日本音楽財団が購入した。日本音楽財団は、クラーク夫人の意思を尊重して弦楽四重奏団にセットとして貸与している。
1680年製ヴァイオリン 「パガニーニ」
このヴァイオリンは著名なヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ、ニコロ・パガニーニ(1782-1840)が所有していたストラディヴァリ製作による楽器のひとつであり、1727年製ヴァイオリン、1731年製ヴィオラ、1736年製チェロと共に、パガニーニの演奏用に形成されたクァルテットの1挺である。パガニーニの後は、息子のアキーレ男爵からパリの楽器商ジャン・バティスト・ヴィヨームが購入し、1867年にアミアンのデサン氏が購入した。1902年にパリの楽器商アルベール・カレッサが入手し、ポアティエのルヴェ氏に売却した。再びアルベール・カレッサがこのヴァイオリンを購入し、1906年、モスクワのピエール・ド・エリセイフに売却した。その後、1922年にボリス・キッチン氏の手に渡り、1925年にニューヨークの楽器商エミール・ハーマンが同氏から購入した。1926年、ハーマンは収集家のデヴィッドH.ウォルトン氏に売却した。1944年、ハーマンはウォルトン氏のコレクション全てと併せて再度このヴァイオリンを購入し、1946年にこのヴァイオリンに加え、1727年製ヴァイオリン、1731年製ヴィオラ、1736年製チェロをニューヨークのアンナE.クラーク夫人に売却した。クラーク夫人はこのクァルテットをワシントンD.C.にあるコーコラン美術館に寄贈し、日本音楽財団は1994年にこれらを同美術館から購入した。
1727年製ヴァイオリン 「パガニーニ」
このヴァイオリンの歴史はコジオ・ディ・サラブエ伯爵に遡る。1817年にニコロ・パガニーニ(1782-1840)がこのヴァイオリンを入手した後、息子のアキーレ男爵からパリの楽器商ジャン・バティスト・ヴィヨームが購入し、1853年にヴィレーユ男爵に売却した。1893年頃、このヴァイオリンはテノール歌手でアマチュアのヴァイオリン奏者、そして有名なソプラノ歌手アデリーナ・パッティ(1843-1919)の夫であるエルネスト・ニコリーニによって購入された。その後、この楽器は1900年にロンドンの楽器商ジョージ・ハートを通してヴァイオリン奏者ヤン・ヴァン・オールトの手に渡ったが、数年後には経済的理由によりハートに売り戻された。1903年、再びハートはヘンリー・サッチ氏に売却し、1909年に買い戻している。ハートは1911年にリヴァプールのブラウン氏に売却した。その後、英国の収集家フレデリック・スミス氏がこの楽器を入手し、W.E.ヒル&サンズに売却した。1914年、この楽器はニューヨークの有名な収集家フェリックス・カーン氏に売却され、1920年にヘレン・ジェフリー氏の手に渡った。1927年にW.R.フォード社が所有した後、1945年にエミール・ハーマンが購入し、1946年にアンナE.クラーク夫人に売却された。
1731年製ヴィオラ 「パガニーニ」
現存するアントニオ・ストラディヴァリ作のヴィオラは、12挺が確認されている。18世紀末に楽器商のジョン・ベッツによって英国に持ち込まれ、銀行家で楽器収集家のE.スティーヴンソン氏に売却された。1831年頃、同氏は全てのコレクションを有名な楽器商ジョージ・コーズビーに売り渡した。1832年、ニコロ・パガニーニ(1782-1840)が初めて英国を訪れた際に、ストラディヴァリの楽器でクァルテットのセットを完成させるため、このヴィオラを購入した。彼はこの楽器をとても気に入り、作曲家のエクトル・ベルリオーズ(1803-1869)に、自身のためにヴィオラのソロパートのある交響曲を委嘱した。それが「イタリアのハロルド」である。パガニーニの死後、息子のアキーレ男爵がこのヴィオラをパリの楽器商ジャン・バティスト・ヴィヨームに売却し、次に、1853年、ヴィヨームは英国の音楽愛好家のオットー・ブース氏に売却した。同氏はこのヴィオラを入手したことにより、ストラディヴァリウスのクァルテットを形成した。このヴィオラは1884年にW.E.ヒル&サンズの所有となり、1892年にクヌープ男爵の手に渡った。同年、ロベルト・フォン・メンデルスゾーン氏は、ヴァイオリン奏者ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の助言により、かのヨアヒム四重奏団の演奏用にこのヴィオラを購入した。このヴィオラは1944年にエミール・ハーマンに売却され、その後、1946年にアンナE.クラーク夫人に売却された。
1736年製チェロ 「パガニーニ」
このチェロは1840年にパリの楽器商ジャン・バティスト・ヴィヨームからドイツのアマチュア奏者レミーレ氏の手に渡り、彼の死後、ヴロス・フォン・アムステル氏に売却された。1875年、シュトゥットガルトのクルムホルツ氏の元に渡った。1876年頃に同氏が死去した後、フランクフルトの美術商カイザーがこの楽器を入手し、収集家のC.G.マイヤー氏に売り渡した。1877年、同氏はフランクフルト市議会議員のエルネスト・ラーデンブルク氏に売却した。1895年、ラーデンブルク氏からロベルト・フォン・メンデルスゾーン氏に売却され、その後、メンデルスゾーン家の所有となった。著名な楽器商エミール・ハーマンは1944年頃にこのチェロを入手し、1946年にアンナE.クラーク夫人に売却した。